クラシック作曲家入門~シューマン~

クラシック作曲家入門

シューマンは19世紀前半に、ドイツで活躍した音楽家で、ドイツロマン派を代表する人物です。

幼いころから文学と音楽に触れたシューマンは幼いころからピアニストを目指すものののちに作曲家に転向し、ピアノ曲の作曲に精力的に取り組みました。

『子供の情景』『クライスレリアーナ』など、シューマンのピアノ曲の魅力にひかれている方も多いのではないでしょうか?

他方シューマンは、交響曲、協奏曲、室内楽曲など様々な様式の楽曲に取り組んでいました。

今回はそんなシューマンの生涯や代表曲についてご紹介します!

シューマンの生涯

シューマンはロマン派を代表する作曲家の一人で、様々なジャンルの作曲に取り組み、そのどれにおいても革新性をもたらしたことで知られています。

幼いころからピアノの才能を発揮し、数多くの名曲を生み出したシューマンですが、若いうちから家族の死に直面し、晩年は精神的苦痛に悩まされるなど、苦労の多い生涯を過ごしました。

そんなシューマンの生涯について、まずは時系列に沿ってご説明します!

幼少年時代

シューマンはショパンと同年の1810年、ドイツのザクセンという場所で生まれました。

父親は出版関係の事業を営んでおり、その影響でシューマンは幼少期から文学書に囲まれて育ちました。

また、音楽愛好家の母親の影響もあり幼い時期から音楽にも親しみ、9歳の時点ですでに作曲をしていたといわれています。

青年時代(20代)

16歳で父を亡くしたシューマンは、家庭の事情で芸術ではなく法学関係の学部の大学に進学します。

しかし音楽への情熱は冷めることなく、大学時代には彼の原点ともいえる「11の歌曲集」や「ピアノ四重奏曲ハ短調」などを作曲しました。

その後、20代ではピアノ曲の創作に熱心に取り組み、「練習曲」「変奏曲」「ソナタ」など数多くのジャンルのピアノ曲を生み出しました。

このような作曲の成果が母親に認められたシューマンは、晴れて音楽家の道を歩むことを許され交響曲の作曲という目標のために作曲を真摯に学びはじめます。

この時期に手指の麻痺が始まったシューマンは深く絶望しますが、精神的に追い詰められている中で、音楽雑誌の刊行を行います。

20代後半になると、シューマンはピアノの師であるヴィークの娘クララに恋をし、ヴィークに結婚の許可を求めますが、強く拒否されます。

それでも粘り強く許可を求め続け、1840年に裁判所から法的な許可を得てクララとの結婚を果たしました。

青年時代(30代)

この時期からシューマンはピアノ作品ではなく歌曲の作曲に熱を注ぐようになります。

1842年にクララとの間に長女マリーが誕生すると、次は管弦楽曲、その次は室内楽、とシューマンは次々と集中する楽曲形式を変え、作曲に取り組みました。

しかし1844年に五か月間に及ぶロシア旅行から帰国したシューマンは精神状態が悪化し、ドレスデンに移住します。

新たな住処では、管楽器のための作品、室内楽作品、ピアノ作品など様々なジャンルの楽曲を発表しました。

このようにシューマンが精力的な姿勢を見せた背景には、当時パリで始まった政治革命も起因するといわれています。

壮年期

1850年、デュッセルドルフに移り住み指揮の仕事をするようになったシューマンは、仕事の傍ら作曲に励み代表作である交響曲第3番「ライン」を出版しました。

その後指揮者としての仕事に疲弊したシューマンは退職し、ブラームスの作品に感銘を受けたことで彼を世に広めるために精力的に取り組みます。

しかしシューマンは精神的疲弊から幻聴に悩まされるようになり、1854年にボン近郊の病院にうつって余生を過ごし、2年後の7月に亡くなりました。

シューマンが残した功績

次に、シューマンが残した功績についてお話しします!

シューマンの音楽は、繊細な感情表現と文学的な要素を持ち込んでいる点が特徴です。

その革新性から、後世の多くの作曲家に影響を与えました。

「音楽評論家」という職業を確立させた

シューマンの生涯の活動の中で最も偉大だとされるのが、音楽雑誌「音楽新報」を創刊し、批評活動を行ったことです。

この雑誌では、シューマンの音楽観や美学が語られており、掲載された批評から当時の音楽の状況をうかがうことができます。

また、文学的才能をもつシューマンの文章が世に与える影響は大きく、ショパンやブラームスが世に出るきっかけをつくりました。

革新的な音楽表現とを文学を融合させた

シューマンは、同時代に著名な音楽家と比較しても文学から多大なる影響を受けていたといえます。

特に、歌曲においては詩と音楽とを融合させることを目指していました。

シューマンにとって”歌曲の年”といわれる1840年に作曲された歌曲集『詩人の恋』は、文学と音楽の融合において最高到達点だと評されるほどの名作です。

シューマンの印象的なエピソード2選を紹介!

デュッセルドルフ

シューマンは真面目で実直な性格でしたが、同時に繊細で空想にふける面を持っており、その性格が精神面に影を落とすこともありました。

若いうちに指の麻痺によりピアニストの道を諦めざるをえなかったことや、才能豊かな妻が間近にちあことなどによる彼の葛藤や複雑な感情は楽曲の表現を豊かにしました。

そんなシューマンの印象的なエピソードをいくつかご紹介します!

特殊な器具の使用による指の麻痺

シューマンは若い頃ピアニストを目指していましたが、指を鍛えるための特殊な器具を使ったことが原因で指を痛め、麻痺が残ってしまいました。

そのためピアニストになるという夢を諦め、作曲家へと転向することになりました。

シューベルトの遺稿を発見した

ある日、シューマンが敬愛していた作曲家シューベルトの兄の家に訪れた際に遺稿を発見しました。

この遺稿はのちに『交響曲第8番』としてメンデルスゾーンの指揮による初演が大成功し、シューベルトの代表作として挙げられるようになりました。

もしシューマンがこの遺稿を発見していなければ、シューベルトの傑作と呼ばれることもなかったかもしれません。

シューマンの代表作10曲をご紹介します!

ライン川

最後に、シューマンの代表作を10曲ご紹介します!

楽曲の音源とともに簡単な解説を記載していますので、ぜひ音源を聴きながらご覧ください。

①謝肉祭(1835)

この楽曲は、シューマンが叶わぬ恋をした相手の出身地の名前にちなんだ楽曲です。

『謝肉祭』は合わせて20曲から構成されており、楽曲名にはシューマンの評論に登場する架空の団体の構成員や実在の音楽家の名前が採用されています。

②クライスレリアーナ(1838)

この楽曲はショパンに献呈されたピアノ曲集です。

タイトルのクライスレリアーナとは、作家・画家・音楽家であるホフマンの音楽評論集の題名から引用されています。

③子供の情景〈トロイメライ〉(1838)

トロイメライはドイツ語で「夢」という意味で、その名の通り夢見心地でうっとりとするような旋律が特徴の楽曲です。

演奏時間は3分程度と非常に短い楽曲ですが、聴く人自身に子供のころの情景を思い起こさせるような魅力があります。

④詩人の恋(1840)

この楽曲はシューマンの最も有名な歌曲集です。

しかし、ピアノの伴奏も声楽に負けず劣らず表現力豊かであることが特徴です。

詩の引用元となっているのはハイネの「歌の本」という作品です。

⑤女の愛と生涯(1840)

この楽曲も『詩人の恋』と同じくシューマンの「歌曲の年」といわれる時期に作曲された作品です。

この楽曲も声楽と同じくらい存在感をはなつピアノの旋律が特徴です。

また、この作品ではそれ以前にドイツの歌曲集に色濃い影響を与えていたシューベルトの作風とは一線を画す作風の作品として知られています。

⑥ピアノ協奏曲 イ短調(1845)

この楽曲はシューマンが遺したピアノ協奏曲の中で唯一完成された作品です。

同時代のロマン派のピアノ協奏曲がピアノを演奏者の技術力を際立たせるための楽器という位置づけにしていたのに対し、本作品はピアノをあくまでオーケストラの楽器の一つと位置付けていることが特徴です。

⑦交響曲第1番「春」(1841)

この楽曲はシューマンが法廷での闘争の末に妻クララと結婚できた直後に書き上げられた作品で、タイトル通りシューマンの人生における「春」の訪れを象徴する作品です。

わずか4日間で書き上げられたこの作品はメンデルスゾーンの指揮による初演で大成功をおさめました。

これ以降もシューマンは交響曲の制作に精力的に取り組み、1841年は「交響曲の年」とも呼ばれています。

⑧ピアノ五重奏曲 変ホ長調(1843)

シューマンが室内楽を活発に作曲するようになったのはクララとの結婚後といわれており、この楽曲も結婚後の1842年に作られています。

楽曲にはシューマンが傾倒していたバッハの影響が色濃くあわられており、また楽曲のロマン主義的で叙情的な雰囲気はシューベルトの影響を受けているとされています。

楽曲にはスーマンの消極的な性格と活発で明るい積極的な性格という二つの相反する人間性が表現されています。

⑨交響曲 第3番 〈ライン〉(1850)

この楽曲は、シューマンがドイツのデュッセルドルフで管弦楽団・合唱団の音楽監督を務めていた、シューマンの人生でも充実していた時期の作品です。

シューマンの最後の交響曲である本作品は全部で5つの楽章から構成されていますが、それぞれが全く異なる雰囲気をもちます。

タイトルの「ライン」とはドイツのライン川を指し、聴いていると川辺の自然や風景が自然と思い起こされます。

⑩交響曲 第4番(1851)

シューマンはピアノ曲や歌曲の名作曲家として知られている一方で、交響曲においては極めて高い評価を得ているとは言えないかもしれません。

しかしこの交響曲第4番はシューマンの若い時代に情熱と長年の作曲経験が活かされた傑作であるといえます。

おわりに

クラシック作曲家入門シリーズ、今回はシューマンについてご紹介しました。

ドイツロマン派の代表格であるシューマンはピアノ曲や歌曲を中心に華々しい成果を残した一方で、恋愛における苦難や慢性的な精神的不安など、芸術活動が停滞する局面も数多くありました、

彼は時期によって特定の分野の楽曲に注力する創作活動が特徴で、多くの分野で傑作を残しました。

次回の作曲家紹介もお楽しみにお待ちください!

過去のクラシック作曲家入門の記事は、下記リンクよりご覧いただけます。

記事内の商品・サービスのお問合せ

ブログで紹介している商品・サービスについて、エルフラット公式サイトにてご確認いただけます。
また気になる商品・サービスがございましたら、公式サイトのメールフォームよりお気軽にお問い合わせください。

著者プロフィール
l-flat staff
l-flat staff
ピアノ弦楽器販売・レンタル・調律・修理・音楽教室・コンクール運営

L-flat Music
株式会社エルフラット
横浜市都筑区茅ヶ崎南2-20-5
045-947-1400
l-flat@peach.ocn.ne.jp
年末年始・GWを除き年中無休
10:00~19:00

l-flat staffをフォローする
クラシック作曲家入門
l-flat staffをフォローする
タイトルとURLをコピーしました