クラシック作曲家入門~チャイコフスキー

クラシック作曲家入門

チャイコフスキーは19世紀後半に活躍したロシアの作曲家です。

ロマン派音楽の代表的な存在で、感情豊かな旋律と革新的な管弦楽法で知られています。

また、オペラやバレエ音楽でも数多くの有名作品を残しています。

今回はそんなチャイコフスキーの生涯や彼が残した功績、代表作などをご紹介します!

チャイコフスキーの生涯

モスクワにあるチャイコフスキーの銅像

ロシアを代表する作曲家の一人であるチャイコフスキーですが、その華々しい経歴の裏には数多くの苦労がありました。

音楽家系ではい一般家庭に生まれたチャイコフスキーですが、そこからどのようにして世界的に有名な偉大な音楽家になったのでしょうか?

まずは、チャイコフスキーの生涯について時系列に沿ってご紹介します!

幼少期

チャイコフスキーは1840年、ロシア帝国のカムスコ・ヴォトキンスクで生まれました。

幼少期から音楽の才能を発揮していましたが、当初は法律学校に入学し音楽家ではなく法律家としての道を歩んでいました。

しかし、14歳のころから音楽に専念するようになり、声楽や音楽理論を学ぶようになりました。

法律あ学校を卒業した直後は官吏として働きましたが、音楽家の夢をあきらめきれず、22歳の時にサンクトペテルブルクの音楽院に入学し直しました。

青年期

1863年には官吏の仕事を退職し音楽に専念するようになったチャイコフスキーは、数多くの作品を生み出しました。

音楽院を卒業後は1866年からモスクワ音楽院で教師として働き始め、同時並行で精力的に作曲活動を行いました。

就任して最初の年には早くも交響曲第1番の草稿を書き上げ、この頃から楽曲に民謡的要素を多く取り入れるようになりました。

これ以降、チャイコフスキーは民族的な要素を取り入れた国民主義的な作品をいくつか作曲しましたが、のちに古典的な形式の探求や主観的な感情の表現を主とした独自のスタイルによる作品が続きました。

壮年期

1876年、チャイコフスキーは富裕層の未亡人メックと知り合い、以降14年間経済的な援助を受けました。

この時期に自身の代表作となるオペラ『エヴゲニー・オネーギン』と交響曲第4番を書き上げました。

1878年に音楽院を辞職した後は、一年の半分を外国で、残りの半分をロシアの別荘で過ごすようになり、着実に作曲活動を続けるい一方で、人とのかかわりが途絶えるようになりました。

その影響か一時創作活動が停滞しましたが、その後バレエ音楽『くるみ割り人形尾』や交響曲第6番『悲愴』などを生み出し、社交性も取り戻すようになりました。

チャイコフスキーは、晩年には国際的に評価され、ヨーロッパやアメリカで指揮者としても活躍しました。

1893年、53歳で逝去しました。

チャイコフスキーが残した功績

チャイコフスキーが印刷された切手

チャイコフスキーは豊かな表現力と管弦楽法により、ロシア音楽やバレエ音楽において多大なる功績を残しました。

チャイコフスキーが残した功績は主に以下の二つです。

20世紀のロシア音楽の発展に大きく貢献した

当時ロシア的な要素を打ち出したロシア国民学派の流れが主流であった一方で、チャイコフスキーは西欧的な手法とロシアの民族性を融合させた独自のスタイルを確立しました。

このスタイルは、後世のロシアの作曲家に多大なる影響を与えました。

バレエ音楽・文化の発展に貢献した

チャイコフスキーが活躍した当時、バレエ音楽の作曲は世間的に見て評価が低かったそうです。

しかし、バレエ好きだったチャイコフスキーは数多くのバレエ音楽の傑作を残し、バレエ音楽・文化の発展に貢献しました。

特にロシアはバレエに非常に力を入れているため、このような功績を残したチャイコフスキーに対し、その死去の際には皇帝が国葬を行うなど、国からも非常に感謝をされていました。

チャイコフスキーの印象的なエピソード2選!

チャイコフスキー国立記念音楽博物館

チャイコフスキーは、感受性が豊かで内向的な性格で、作曲活動に集中する一方で人間関係には苦労していたようです。

そんなチャイコフスキーの印象的なエピソードをいくつかご紹介します!

13年間会ったことのない人物と文通を続けた

チャイコフスキーはとある裕福な女性と13年間にわたり文通を続けましたが、二人は一度も会うことはありませんでした。

夫人がチャイコフスキーとの面会を求めても彼は応じなかったとされています。

手紙では音楽や人生について語り合い、夫人はチャイコフスキーに経済的な援助を行っていたそうです。

教え子との結婚と苦悩

チャイコフスキーは30代後半のころ、音楽院の生徒であった女性から熱烈なアプローチを受けて結婚します。

しかし、チャイコフスキーは同性愛者だったともいわれており、結婚生活に耐えきれなかったのか結婚後1月半で家を出て自殺未遂を図りました。

チャイコフスキーの代表曲10曲をご紹介します!

チャイコフスキー文化センター

チャイコフスキーはロシア民謡の要素に、西洋音楽の技法を融合させた独自をスタイルを確立させたことで知られています。

バレエ音楽では特に、物語の内容を音楽で表現する才能を発揮しました。

また、バレエ音楽に加え、交響曲や協奏曲などさまざまなジャンルで傑作を生みだしました。

ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23 – 第1楽章

華麗なピアノの演奏と壮大なオーケストラが融合した傑作です。

歌劇『エフゲニー・オネーギン』:第3幕 ポロネーズ

交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」:第1楽章

ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35:第2楽章

スラヴ行進曲 作品31

祝典序曲「1812年」作品49

ナポレオンのロシア侵攻を題材にした管弦楽曲です。

演奏には実際の大砲が使用されています。

バレエ『くるみ割り人形』:金平糖の精の踊り

クリスマスの雰囲気を音楽で表現した楽曲です。

子供から大人まで幅広い世代から親しまれています。

バレエ『くるみ割り人形』:花のワルツ

バレエ『白鳥の湖』:白鳥たちの踊り(4羽の白鳥の踊り)

本楽曲は優美な旋律と物語性豊かな音楽が特徴で、バレエの名作として有名です。

チャイコフスキーの作品でも特に名作として知られている『白鳥の湖』ですが、当初は批判を浴び、彼自身は深く傷ついたと言われています。

しかし、作品は数年後非常に高い評価を受けました。

バレエ『白鳥の湖』:第2幕 情景

おわりに

今回はロシアを代表するロマン派の作曲家、チャイコフスキーについてご紹介しました。

チャイコフスキーは、ロシア国民楽派の影響を受けつつも、より国際的な音楽語法を追求しました。

ロマン派の感情表現とロシアの民族性を融合させた彼独自のスタイルはいまでも多くの人を魅了します。

次回のクラシック作曲家入門もお楽しみに!

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