”作曲家ドビュッシー”と聞くと「月の光」をイメージする方も多いのではないでしょうか?
ドビュッシーは絵画的な作品を数多く遺したことで有名で、彼の作品を「映画のようだ」と評する人物もいます。
また、生涯でピアノ作品を多数作曲し、独特の印象を与える和声を多く用いたことから「音の詩人」とも呼ばれています。
今回はそんなドビュッシーについて、その生涯や代表作をご紹介します!
【この記事でわかること】
- ドビュッシーの生涯
- ドビュッシーが残した功績
- ドビュッシーの代表作
それでは早速見ていきましょう!
ドビュッシーの生涯
「印象主義音楽」の音楽家としてその独特な和声法や作曲技法が特徴的なドビュッシーですが、独自の美学を追求するあまり、トラブルを起こすこともしばしばありました。
そんなドビュッシーがどのような人生を送って数々の名曲を生み出してきたのか、まずは彼の生涯について時系列に沿って説明します!
少年期
クロード・ドビュッシーは1862年、フランスのサンジェルマンアレーで生まれました。
1871年父親が労働者の革命に加担した罪で投獄されたことで、ドビュッシーの生活はとても不安定になります。
この頃すでにピアノのレッスンも受けていたドビュッシーは翌年パリ音楽学院に入学し、優秀な成績で卒業しました。
卒業後はローマに2年間留学し、交響曲「春」やカンタータ「選ばれた乙女」を作曲します。
これらの楽曲は従来の音楽理論から逸脱する点が多く、画家やモネやルノワールの作品になぞらえて「印象主義」と呼ばれました。
青年期
ドビュッシーは1893年に開かれた国民音楽協会で「選ばれた乙女」を演奏したことで世間から注目を浴びるようになります。
この絶頂期に作られた作品で最も傑作とされるのが「牧神の午後への前奏曲」です。
さらに、古典的な形式に則った弦楽四重奏曲を作曲し、これ以降自身の独特な作風と確固たる形式を併せた作品を作り出すようになりました。
壮年期
1902年に後悔されたオペラ「ペリアス」では傑作とされたながらもその革新性のため賛否両論を招きましたが、その後も精力的に劇場作品の背策に取り組みました。
一方ピアノ作品でも独自のピアニズムを磨き上げています。
この時期にドビュッシーは結婚していながらも銀行家の妻であるエンマ・バルダックという妻ではない女性と親しくなり、彼女との間に彼女との間に娘をもち、シュシュという愛称で呼んでいました。
しかし、妻の自殺未遂でスキャンダルを起こしたドビュッシーはつらい時期を過ごしながら、日本の浮世絵からインスピレーションを受けながら交響曲「海」を完成させます。
中年期
ドビュッシーは1908年以降指揮活動や海外での演奏旅行に精力的に取り組みますが、同時に直腸がんにかかります。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ドビュッシーはそれに対抗するようにソナタ形式の楽曲を複数作曲しました。
翌年にはがんが悪化し、手術を受けて少しずつ回復しましたが徐々に衰弱死、1917年にフランスのバスク地方でバイオリン・ソナタを演奏したのを最後に、1918年に亡くなりました。
ドビュッシーが残した功績
ドビュッシーの音楽の特徴は、東洋的な響きを取り入れたり、自然の音、光、色彩などを表現しようとしていた点などの、従来の西洋音楽とは異なる形式を確立させている点です。
ラヴェルやサティなどの後世のフランスの作曲家はドビュッシーの音楽に大きく影響を受けました。
また、ドビュッシーの斬新な和音の使い方や音色の使い方などは、クラシック音楽だけでなく今日のジャズやポピュラー音楽などにも影響を与えました。
ドビュッシーの印象に残るエピソード3選!
ドビュッシーは内向的で気難しい性格だったので、人と交流するよりも独自で美学を追求する方を好んでいました。
そのためか人間関係でたびたびトラブルを起こしており、特に女性関係では泥沼になることも度々ありました。
パリ音楽学院では問題児だった!?
パリ音楽学院に入学したドビュッシーでしたが、教師の指導にたびたび文句や不満をいったり、授業中には当時の伝統音楽を批判するような発言をしたりするなど、反抗的にふるまっていたそうです。
また、学校で偉大な音楽家セザールのオルガンクラスに出席していた時も、オルガンの音色を「執拗で灰色」と評し、わずか半年で脱退したそうです。
「印象派」と呼ばれるのを嫌がっていた!?
ドビュッシーの音楽はその革新的な音楽様式から「印象主義的音楽」と評されますが、読書好きだったドビュッシーはむしら象徴主義に傾倒しており、印象派と呼ばれることを嫌がっていたそうです。
本人は「音楽には印象主義はない」と考えていました。
実際、”印象派風”の雰囲気をもったピアノ組曲「映像」を作った際も楽譜の出版社あての手紙で「この楽曲は印象主義ではない」と主張しています。
北斎の絵を飾っていた!?
ドビュッシーは日本の浮世絵に興味をもっていて、自宅に葛飾北斎の絵画を飾っていたそうです。
また、「ジャポニズム」を正式に取り入れた最初の西洋音楽家として知られており、交響詩「海」は北斎の「富岳三十六計」に影響を受けて作られました。
そのため楽譜の初版の表紙には本人の希望もあり、この絵画が表紙として採用されています。
ドビュッシーの代表作10選をご紹介します!
最後にドビュッシーの代表作を10曲ご紹介します!
ドビュッシーの作品はピアノ曲を中心としており、繊細で豊かな感情表現が特徴です。
また、印象主義と称されることもあるように、自然の情景を想起させるような表現力が魅力です。
そんなドビュッシーの代表作10作について、楽曲の魅力や楽曲にまつわるエピソードをご紹介します!
プレリュード集 第1巻 L. 117: 第8曲 亜麻色の髪の乙女
日本ではCMソングやBGMとしても有名なドビュッシーの名曲「亜麻色の髪の乙女」。
楽曲の特徴としては、全体を通して優しいタッチが指定されており、またわかりやすいメロディーと柔らかい和声で構成されています。
しかし、楽曲の演奏難易度は高く工夫を凝らしたつくりになっているので、聴くものを飽きさせません。
交響組曲「春」
この楽曲はドビュッシーがローマに留学していた時期に作られました。
ドビュッシーはボッティチェリの名画「プリマヴェラ(春)」などの絵画にインスピレーションを受けて作曲したそうで、歓喜に満ちた自然の様子を表現しています。
楽曲の初版は紛失してしまったため、後世にこの動画のようなオーケストラの楽曲として編曲が行われました。
ドゥ・アラベスク L.66:第1番 アンダンティーノ・コン・モト
この楽曲は、現代でもポピュラー音楽としてアレンジされた、管弦楽曲に編曲されたりなど、非常に人気の高い楽曲です。
楽曲全体を通して分散和音が効果的に用いられており、水面を滑るかのような滑らかさと少しずる変化していく和声進行が特徴です。
非常に優雅な雰囲気を感じさせる曲ですが、ドビュッシーならではのこだわりがふんだんにこめられています。
ベルガマスク組曲より「月の光」
ドビュッシーの作品で最も有名なのがこの「月の光」でしょう。
この楽曲はヴェルレーヌという詩人の作品をもとに作曲されたと考えられており、ヴェルレーヌの象徴主義(人間が近くするすべては象徴であるとという考え)の精神が反映されています。
楽曲がもつ哀しさと美しさを併せ持つ荘厳な雰囲気は、月が雲に隠れたり姿を現したりする情景を想起させるようで、、まるで映画のような楽曲になっています。
技巧的な面に関しては、ペダルの使い方が非常に重要になっており、ペダルを効果的に使うことで流動的でまろやかな演奏になり楽曲の魅力を存分に引き出すことができます。
夢
この楽曲は「月の光」と同時期に作られたピアノ曲で、当時経済的に困窮していたドビュッシーが金銭を得る目的で作られた楽曲とされています。
そのためもあってか、ドビュッシー自身はこの曲をあまり高く評価していなかったそうです。
タイトルの「夢」という名前の通り、まるで夢を見ているかのような幻想的なメロディーが特徴です。
牧神の午後への前奏曲
この楽曲は象徴派の詩人マラルメの作品をもとに作曲されました。
マラルメの詩ではギリシャ神話に登場する好色な牧神「パン」が官能的な夢想をする様子が描かれており、ドビュッシーはその様子を柔らかい音を用いることで表現しました。
楽曲はフルートの中低音のソロから始まり、弦楽器の揺れ動くようなメロディーがけだるい昼下がりのまどろみを想起させます。
歌劇「ペリアスとメリザンド」
この楽曲はドビュッシーによって作曲された唯一のオペラです。
ドビュッシーは従来のオペラにフランス独自の様式を付け加えようと試み、フランス語の語法を用いて水や光などの自然の色彩や登場人物の繊細な感情を表現しようとしました。
原作の詩人メーテルフランクとドビュッシーは最初は良好な関係を築いていましたが、作品の解釈の違いによって仲たがいしてしまったそうです。
喜びの島
たびたび「絵画的」と評されるドビュッシーの作品ですが、本作も画家ヴァトーの絵画をモチーフに、絵画と同じくカップルが伝説の島「愛のヴィーナス島」に向かう様子を描いているとされます。
作曲当時ドビュッシーはエンマとの恋愛が大スキャンダルとして報じられ世間から糾弾されていたということもあり、ドビュッシー自身の恋愛への思いが込められているのかもしれません。
ドビュッシーはたびたび作品のモチーフに「水の情景」を取り扱っていましたが、本作でも島に向かう道中の海や波の様子が表現されています。
管弦楽曲「海」(1905)
この楽曲が制作された時代はフランスにおいて航海技術が発達し始め、音楽など異国の文化が流入してくるようになりました。
ドビュッシーも東南アジアや中国の音楽、そして日本に浮世絵に触発され、「海」を作曲しました。
楽曲全体を通して同じ主題が繰り返される形式をとっていますが、異なる雰囲気で主題が展開することで、絶え間なく変化し続ける海の様子を見事に表しています。
子供の領分 から 第1曲 グラドゥス・アド・パルナッスム博士(1908)
この楽曲はドビュッシーがエンマとの間にもうけた愛娘”シュシュ”に献呈されたものです。
しかし、「子どもにささげた作品」といえでも決して演奏は簡単ではなく、隅々までこだわりぬかれており、作曲への深い理解と高い演奏技術が求められます。
組曲の第一楽曲である本曲は、ドビュッシーの他の練習組曲と同様に、練習曲独特の無味乾燥さをもちつつも、複雑な和声が散りばめられています。
「音との詩人」ドビュッシーに詳しくなって、楽曲を細部まで味わいましょう!
今回はフランスの印象主義音楽を代表する作曲家ドビュッシーについてご紹介しました。
ドビュッシーの絵画的な作品は見るものに自然の美しい情景や物語のシーンをありありと想起させます。
そのため、楽曲の背景について詳しくなることで、ドビュッシーの映画のような作品を存分に味わえるでしょう。
次回のクラシック作曲家紹介もぜひお楽しみに!