クラシック作曲家入門、今回はロマン主義を代表する音楽家、ショパンについてご紹介します!
生涯で多くのピアノ曲の傑作を生みだしたことから「ピアノの詩人」と呼ばれているショパン。
その自由で革新的な音楽形式は、当時の音楽家に多大なる影響を与え、現在でも彼の楽曲は世界中の多くの音楽家から愛されています。
【この記事でわかること】
- ショパンの生涯について
- ショパンが残した功績について
- ショパンの代表作について
それでは早速見ていきましょう!
ショパンの生涯
まずはショパンの生涯について時系列に沿って解説します。
ショパンの生涯は39年と非常に短いですが、その中でも多くの功績を残しました。
祖国愛にあふれるショパンは20歳を最後に祖国を離れてしまい、その後の人生を第二の祖国ともいえるフランスで過ごしました。
幼少期~少年期
ショパンは1810年にポーランドの首都ワルシャワの近郊の村で生まれました。
4歳でピアノを本格的に習い始めたショパンは、すぐに才能を発揮し、バッハやモーツァルトなど偉大な音楽家の楽曲を演奏するようになります。
即興演奏が得意だったショパンは、7歳にして作曲した曲を出版し、演奏会を開くほどワルシャワ中で人気がありました。
16歳でワルシャワの音楽学院に入学したショパンは、ピアノ協奏曲の作曲やウィーンでの演奏会の開催など、精力的に音楽活動に取り組みます。
この時期にショパンが暮らすポーランドの情勢が悪化したことで、彼は祖国を離れてパリで暮らすことになります。
青年期
ショパンはパリでリストやメンデルスゾーンなど著名な音楽家と交流し、気品があり人当たりのいいショパンはフランスの貴族界で人気を博します。
この時期にジョルジュ・サンドという女性と親しくなったショパンは、結核の治療のためにスペインで暮らし始めます。
ショパンはこの地で「前奏曲」や「ポロネーズ」などの数々の傑作を生みだしました。
しかし34歳の時に父親の訃報を受けたことでショパンは心身に不調をきたすようになりつらい日々を過ごしましたが、同時に「ワルツ」や「幻想曲」などの代表作を執筆しました。
晩年
サンドと別れたショパンは弟子のスターリングの献身的な支えを受けながら演奏会やレッスンを行っていましたが、演奏旅行先のロンドンで体調を悪化させてしまいます。
それでも祖国への愛情が深かったショパンはポーランドからの避難民のために無料で演奏会を開き、これが自身最後の演奏会になりました。
この後ショパンは寝たり期の生活を送りながらも作曲活動を熱心に行い、最後は祖国ポーランドの民謡を作り、39歳でこの世を去りました。
ショパンが残した功績とは?
ショパンが活躍した時代のヨーロッパは「ロマン主義」が主流でした。
ロマン主義とは、それまでの古典主義や合理主義に反発し、個人が自由に自己表現することを重視する文化です。
ショパンが残した功績として、このロマン主義の発展に大きく貢献したことが挙げられます。
ショパンのン作品はロマン主義の音楽の金字塔として、音楽家だけではなく、同時代の文学者や画家にも多大なる影響を与えました。
ショパンの印象的なエピソード3選を紹介!
続いてショパンの印象的なエピソードをご紹介します!
ショパンは感受性が豊かで、繊細で内向的な性格でした。
また、完璧主義で美意識が高く、それゆえに周囲を驚かせたり、苦労をしたりすることもあったようです。
大規模な演奏会が苦手だった
繊細で内向的な性格のショパンは大勢の人前で演奏することを避けていたようです。
ショパンは生涯の中で30回程度しかコンサートを行わなかったそうで、貴族が少人数集まるサロンや身内だけが集まる会で演奏することを好んでいました。
美意識がとにかく高かった
ショパンは並外れて美意識が高く、おしゃれに気を配っていたといわれています。
演奏会や楽譜の出版により多額の収入を得ていたショパンでしたが、その給料のほとんどを洋服や家具につかっていたそうです。
その美意識のためか、おしゃれで上品なショパンは、貴族の婦人たちからとても人気でした。
心臓だけが祖国にある
愛国心の強かったショパンは、遺言で「心臓をポーランドに運んでほしい」と残したそうです。
その遺言通り、彼の死体はパリに埋葬され、心臓だけがポーランドに運ばれ、現在もワルシャワの教会に安置されています。
ショパンを代表するピアノ曲10選をご紹介!
最後にショパンの代表作を10曲ご紹介します。
ショパンの楽曲は複雑な和声を用いたり、繊細な装飾表現をしたりしている点が特徴です。
また、マズルカやポロネーズなど、祖国ポーランドの民謡音楽を数多く作曲し、芸術音楽として昇華させた点も特筆されます。
そんなショパンの代表作について、音源と共に作曲の背景や楽曲にまつわるエピソードをご紹介します!
①ノクターン第2番
ショパンが作曲したノクターンの中で最も傑作とされているのがこのノクターンです。
この楽曲の装飾の手法はオペラのアリアと同じもので、声楽をこよなく愛していたショパンだからこその楽曲形式といえます。
即興演奏が得意だったショパンはこの楽曲を演奏するたびに弾き方を変えていたとされ、その自由な演奏が当時から高く評価されていました。
②ワルツ第1番《華麗なる大円舞曲》
この楽曲はショパンが最初に作ったワルツです。
楽曲が発表された当時は貴族の中でワルツの地位が向上していたこともあり、この曲は貴族界ですぐに人気を集めました。
目まぐるしく展開する音楽形式は、ショパンが若年期に訪れたウィーンのワルツ形式の影響を受けていると考えられています。
③ワルツ第6番《小犬》
この曲はショパンの恋人であるジョルジュ・サンドが飼っていた子犬が自分のしっぽを追いかけてぐるぐると回っている様子から着想を得て作曲されたというエピソードがあります。
楽曲は3部形式で構成されており、軽快に駆け抜ける最初と最後の部分と、穏やかで優雅な雰囲気の中間部との対比が印象的です。
演奏時間が2分にも満たない短い曲ですが、ショパンの作曲技術が光る名曲です。
④スケルツォ第2番Op.31
この楽曲はショパンが生涯で残した4曲のスケルツォのうちの一つで、”スケルツォ”とは元々はイタリア語で「冗談」や「ユーモア」を意味しました。
音楽形式におけるスケルツォでは、欲にまみれた世界で生きる人間が笑いと苦痛という相反する感情を抱えながら生きていく様を表現しています。
ワルツやシシリエンヌ(シチリア島の民族音楽)など様々な音楽の要素が登場するこの楽曲は、ショパン自身の移り気な感情を表しているかのようです。
⑤ポロネーズ第6番《英雄》
タイトルの「ポロネーズ」とは「ポーランド風の」という意味で、ポーランドの大衆音楽から発展した音楽形式を指します。
ポーランドはこの楽曲をパリで作曲しましたが、当時のパリにはポーランドから亡命したポーランド人が多く住んでいたため、彼らの祖国を感じたいという要求に応えるためにもショパンはこの楽曲を作曲しました。
通称である「英雄」とはこの楽曲の壮麗で華やかな曲風と、高難易度の演奏技術を要求する点から名づけられたそうです。
⑥エチュード第3番《別れの曲》
「別れの曲」の愛称で知られるこの楽曲ですが、これはショパン自身がつけた愛称ではなく、のちに「別れの曲」というタイトルのドイツ映画で使用されたことでつけられました。
エチュードとは練習曲を意味しますが、ショパンのエチュードは単に演奏技術を磨くための楽曲ではなく、聴衆の心を動かすような高い芸術性をもつことが特徴です。
日本ではCMなどでよく使われているため、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
⑦エチュード第12番《革命》
こちらもショパンが作曲したエチュードの一つで、激情的なメロディーが印象的です。
楽曲が制作された1830年ごろにショパンの祖国ポーランドがロシアの侵略を受け、それを知ったショパンが祖国を憂いて作曲したとされます。
また、テンポが速く高度な演奏技巧が求められるこの曲は、ピアノ上級者向けの楽曲として知られています。
⑧エチュード第13番《エオリアンハープ》
通称の「エオリアン・ハープ」とは、自然の風によって音が鳴る演奏楽器で、当時はヨーロッパで広く屋外に設置されていました。
ショパンがこの楽曲をシューマンの前で披露した際に、シューマンが「エオリアン・ハープを想起させるよう」と評したことで、この通称がつけられました。
この楽曲は分散和音が繰り返されるため、演奏者には手指の柔軟性が求められます。
⑨プレリュード第15番《雨だれ》
このプレリュード(前奏曲)は、バッハが作曲した24の変奏曲に影響を受けて作曲され、ショパンのバッハへのリスペクトが込められています。
楽曲が作られた当時、ショパンは恋人のサンドとスペインのマヨルカ島で暮らしていました。
ある嵐の日にサンドが家を空けている中で、ショパンは一人で孤独ながらにこの楽曲を作曲したそうです。
⑩《幻想即興曲》(即興曲第4番)
タイトルにつけられた「即興曲」ですが、これは即興で演奏されたという意味ではなく、あくまで「即興風」を意図した19世紀以降に流行した音楽形式のことです。
この楽曲は左手が3分割されている一方で右手は2分割される難易度の高いつくりですが、優雅で美しいメロディーがゆえにその難しさを感じさせません。
まさにショパンの天才的な作曲センスが存分に発揮された楽曲といえます。
ピアノ曲を生み出す天才、ショパンに詳しくなることでより一層クラシックが楽しめます!
今回は「ピアノの詩人」ショパンについて解説しました。
今でもワルシャワでは5年に一度ショパンの楽曲だけが演奏されるショパン国際コンクールが開催されるなど、ショパンの曲は世界中で演奏されています。
ショパンの人柄や楽曲について詳しくなることで、クラシック音楽がより楽しめるでしょう。
次回のクラシック作曲家紹介もお楽しみに!