古典派音楽の代表的な作曲家の一人がモーツァルトです。
モーツァルトは、オペラ、交響曲、協奏曲など様々なジャンルのピアノ楽曲を作曲し、そのすべてにおいて超一流でした。
完璧な音楽性と豊かな表現力が魅力のモーツァルトは、後世の音楽家や芸術家に多大なる影響を与えました。
クラシック作曲家入門第2回の今回は、そんなモーツァルトについてご紹介します!
【この記事でわかること】
- モーツァルトの生涯
- モーツァルトが残した功績
- モーツァルトの代表作
それでは早速見ていきましょう!
モーツァルトの生涯
モーツァルトは、感受性が非常に豊かで人の感情の機微を読み取ることに長けていた人物でした。
非常に早熟な天才でしたが、一方で明るく闊達な性格で、周囲の人々に無邪気に振る舞い、「変人」と称されることもあったそうです。
そんなモーツァルトの一生を時系列に沿ってご紹介します!
幼少期~少年期
モーツァルトは3歳のころにはすでに音楽家としての頭角を現し、5歳のころには作曲を始めたと言われており、周りからは「神童」と呼ばれました。
モーツァルトの才能を見込んだ音楽家の父はウィーンなどを訪問する演奏旅行を計画し、モーツァルトはシェーンブルン宮殿で演奏を行いました。
その後、モーツァルトはドイツ、ベルギー、イギリスなど西方の各地を回り、演奏を披露しながら作曲にも精力的に取り組みました。
青年期
旅行から戻り故郷でも音楽の勉強を続けたモーツァルトは、第2回のウィーン旅行に赴き、この時期に最初の劇作品が作られました。
その後イタリアを訪れたモーツァルトは、イタリアの器楽とオペラに直接触れ、インスピレーションを受けます。
モーツァルトは1777年9月~1779年1月にかけて「マンハイム・パリ旅行」と称される旅行に行きました。
この旅行でモーツァルトはマンハイムやパリの音楽家たちの様式を取り入れ、交響曲、協奏曲、ソナタ、協奏交響曲など様々な形式の音楽により豊かな響きが生まれました。
しかし、この旅行の途中でパリを失ったり、思うように職を得られなかったりなど、モーツァルトは様々な苦難に遭いました。
苦難を乗り越えたモーツァルトは、ウィーンでフリーの音楽家として華々しい活躍をあげるなど、絶頂期を迎えました。
壮年期~没年まで
この時期からモーツァルトの生活にはかげりが見え始め、困窮していたと言われています。
同時期には短調の名作が多く誕生しました。
また、有名な歌曲「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」もこの時期に作曲されました。
モーツァルトは1791年、「レクイエム」の作曲途中で筆を折り、35歳でこの世を去りました。
モーツァルトが残した功績
モーツァルトの楽曲は、死後も人気が衰えることなく、後輩のベートーベンや、後世のシューベルト、ショパン、ドビュッシーなどに影響を与えました。
また、音楽家だけではなく、文学者のゲーテ、キルケゴール、哲学者のヘーゲル、画家のルノワールやクレーなどもモーツァルトの作品を高く評価しています。
さらに、現代でも多くの音楽家がモーツァルトの作品を演奏し、モーツァルトを題材にした映画やミュージカルが大ヒットしていることからも、その人気ぶりがうかがえます。
モーツァルトの印象的なエピソード3選!
モーツァルトの生涯は35年と非常に短いですが、その中でも数多くの印象的なエピソードを残しています。
今回はその中から3つをご紹介します。
①数々の「神童伝説」
モーツァルトは3歳でチェンバロを弾き、5歳で作曲を始め、6歳の時には宮廷で演奏をしています。
また、モーツァルトは音感に非常に優れており、一度聞いた曲は完全に覚えられたそうです。
②モーツァルトはフリーメイソン会員だった!?
モーツァルトはフリーメイソン(世界的に有名な友愛団体)の会員でした。
「魔笛」をはじめとする一部の彼の作品には、彼の思想を反映するような象徴主義や啓蒙思想があらわれています。
③謎の人物から依頼された「レクイエム」
モーツァルトの代表作の一つである「レクイエム」の依頼人は謎の「黒衣の人物」でした。(実際はとある伯爵の代理人だったそうです)
モーツァルトは「レクイエム」の作曲中に急逝したため、弟子のジュスマイヤーが曲を完成させました。
モーツァルトの代表作
モーツァルトの作品は優雅でありながら卓越した感情表現をもち、同時に繊細な技巧が用いられています。
モーツァルトは当時流行していた音楽様式である「ロココ様式」を作品に反映させており、軽快で華やかな作風が特徴です。
一方で、晩年になるにつれ、作風は悲壮的で哀愁のあるものに変わっていきます。
今回はモーツァルトの代表作品を9作ご紹介します!
それぞれの作品の音源も併せてご紹介しますので、ぜひ音源を聴きながらご覧ください!
①フィガロの結婚序曲K.492
この楽曲はモーツァルトの代表作であるオペラで、現代でも世界中のオペラファンから愛されている作品です。
この作品は人間心理を繊細な旋律で巧みに表現しているのが魅力ですが、一方で当時の貴族階級を批判するような描写があるため、一時期は上演が禁止されていました。
彼の独創的な感性と、傑出した音楽の才能が際立つ名作です。
②2台のピアノのためのソナタニ長調K.448 第1楽章
この楽曲は、モーツァルトが2台のピアノのために作曲した現存する唯一のソナタです。
モーツァルトは弟子の中でも優秀なピアニストの女性と演奏するためにこの楽曲を作ったと考えられています。
大人気ドラマ「のだめカンタービレ」の第一話では、この楽曲が印象的なシーンで使われたことで、日本でも一躍有名になりました。
③アイネクライネナハトムジーク ト長調K.525 第2楽章
モーツァルトの楽曲でも特に有名なこの作品は、「セレナード」と呼ばれる戸外で演奏される種類の楽曲です。
「アイネクライネナハトムジーク」はモーツァルトが作曲した最後のセレナードで、第2章の「ロマンツェ」は内向的な雰囲気で穏やかなメロディが特徴です。
この楽曲はモーツァルト自身が記した目録によると全部で5つの楽章から構成されていますが、実存する楽譜には4楽章しか記載されておらず、残りの1章の楽譜は紛失したとされています。
④ディヴェルティメント第17番ニ長調K.334 第3楽章メヌエット
ディヴェルティメントとはセレナードと同様に上流階級向けの娯楽音楽で、屋内演奏を目的とした室内楽の一種です。
楽曲は全部で6楽章あり、2本のホルンと弦楽器という楽器編成で構成されています。
上記の動画で演奏されている第3楽章は、「モーツァルトのメヌエット」の愛称で親しまれています。
⑤ホルン協奏曲第1番ニ長調第1楽章K.412+K.514(386b)
この楽曲はモーツァルトの友人でホルン奏者のロイドゲープのために作曲されました。
日本では第一楽章冒頭の旋律がバラエティ番組の料理のシーンで用いられたため、聴いたことがある方も多いのではないでしょうか?
モーツァルトは逝去した年である1791年にこの楽曲を作曲し、未完のままこの世を去ったそうです。
⑥交響曲第25番ト短調K.183第1楽章
この曲はモーツァルトが作曲した50曲の交響曲のうち、2曲しかない短調の曲です。
また、この楽曲は映画「アマデウス」の冒頭シーンで流れていることでも有名です。
交響曲第25番はウィーン滞在後に書かれた曲で、オーストラリアの音楽の影響を受けていいるとされます。
⑦交響曲第40番ト短調K.550 第1楽章
この楽曲はモーツァルトの「三大交響曲」(第39~41番)の一つで、先ほどの25番と同じく短調の交響曲です。
第一楽章はソナタ形式(2つの主題による提示部→展開部→再現部の構成)で、バイオリンの悲劇的な有名なメロディーから始まります。
楽章全体を通じて、哀愁と緊迫感のただよう楽曲です。
⑧オペラ「魔笛」K.620
この楽曲はモーツァルトが作曲した最後のオペラで、モーツァルトは「魔笛」の初演で指揮を振った約2か月後に亡くなっています。
モーツァルトはこのオペラを心から愛しており、死ぬ間際も魔笛が聴きたいと言っていたそうです。
魔笛は公開直後から大ヒットしてオペラで、現在も世界中で愛されています。
⑨レクイエム二短調K.626
晩年のモーツァルトは、ウィーンの中心のカトリック教会であるシュテファン大聖堂の副学長として、新たな宗教曲の作曲に注力していました。
そんな折にとある伯爵の死者から「レクイエム」の作曲を依頼されたモーツァルトは、前時代の古典宗教音楽を参考にしながら、自身の死生観を楽曲に反映させました。
未完のままこの世を去ったモーツァルトに代わり弟子のジュースマイアーが本楽曲を完成させ、その後20世紀以降さらに改訂が繰り返されました。
クラシック作曲家について詳しくなることで、音楽をより一層楽しめます!
今回はモーツァルトの生涯や代表曲についてご紹介しました!
あらゆるジャンルの作曲に優れ、後世の音楽家に多大なる影響を与えたモーツァルト、そんなモーツァルトについて詳しくなれば、より一層クラシック音楽を楽しめると思います。
次回のクラシック作曲家紹介もぜひお楽しみに!